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打たずに勝つ『上の勝ち』から
何も起こさない『最上の勝ち』へ

『上の勝ち』を体現する武脩館の技術は
空手の「受け」の応用にあります。
通常の空手では相手の攻撃を止めて終わっていたものを、
武脩館の空手は攻撃を止め、かつ封じる。
相手を直接打つことが許される空手の「受け」の応用だからこそ
実戦で生きる技術を身につけることができます。

打たずに相手の動きを封じる、武脩館の負けない技術は
実際に対峙する際の恐怖心を少しずつ取り除き、
取り除いたぶん出来る心の平穏は、冷静な対応力となり、
相手を殴り倒すことが「勝ち」ではないという本質への気づきとなり
何も起こさないという「最上の勝ち」に繋がっていきます。

『剛のみの空手』は
下の勝ち、中の勝ち

「打って勝つようでは下の勝ち。」
と書いてある通り、我々は打つことを悪しとしているわけではありません。
実際に相手を殴る剛の空手や実戦的な試合を多く経験すべきとは思わないが、
どうしても内側を剛にしておくべきだとは思うし、
ある程度の痛みというものも知っておく必要はあるというのが私の考えである。
それは実際に戦うという時だけではなく、
暴力を伴わないあらゆる争い事の場面において、
中身が剛でなければ結局は柔らかい術も効かないという考えに由縁する。

相手を制する防御へ
武脩館の「受け」の極意

手による顔面への打撃をなしとする極真芦原正道の世界で
生きていた間は、「受け」の技術は程々にしておき、打撃
に耐えられる体を作ろうとした時期もありました。
しかし、空手をひとつのスポーツとして考えることができ
なかった私は、どうしても、実戦との乖離を感じずにはい
られませんでした。

そうして、正道空手から離れ独自に武道を探求し始めて、
たどり着いた「受け」はことごとく、極真空手初心者の頃
に教えられた「受け」の技術に基本があったことに気がつ
いたのです。

「受け」の技術解説

腕と手による受け腕と手による受け「上げ受け/外受け/内受け/下段払い」一連の空手の「受け」をベースに相手を制する武脩館の「受け」の技術を解説しています。

武脩館の「受け」を極めるために

鍛錬を繰り返し
5つの感覚を密接にする

軸、反射、崩し、粘手、読み、こちらの感覚を身につけていく上で
免許や段位のようにゴールや具体的な指標はない。
5つの感覚を繰り返し考えながら鍛錬していき、
ひとつひとつの技術を高めることで、互いの距離を密接にしていく。
同じ鍛錬でも、技術があがれば違った発見が必ず見つかる。
軸がしっかりしてくれば、反射は早くなり、崩しの感覚も身につきやすい。
反射が早くなれば、軸を保つ余裕が生まれ、粘手に新たな発見を生む。
この相互関係を高め密接にしていくことで武脩館の「受け」を高みに導きます。

1対多人数への対処

多人数への対処を学ばずして
実戦との乖離は埋めきれない

試合にはない多人数への対処。
人生において人との対峙は1 対1 だけではありません。
むしろ、道場を出た現実世界では、1 対多人数の対峙のほうが多
いのではないでしょうか?
そのため多人数を相手にするものだと最初から考えて稽古をす
べきで、1 対多人数の時に思いがちな「殴り倒さねばやられる。」
というような攻撃的な考え方を根本からなくすよう変えていか
なければならないと武脩館は考えています。

站椿から得る、見えない予備動作

站椿はひたすら立つんだと考えていた時期はわずか10 分でも苦痛でした。そうではなく多人数を相手にする=多方位からの攻撃に対する瞬時の対応を目的として取り組むと、身体が全く凝り固まっていないことに気づくだろう。一見、動いていないように見えて、実は動いている。見えないレベルで重心移動を常に繰り返しているのが站椿ではないのかと私は考える。瞬時の爆発力を生み出すための筋肉の予備動作を養うという目的意識を持って站椿を繰り返します。

円弧をぶつけて弾き飛ばす

多人数を相手にした場合、1 人の攻撃を受けて制しても、別の人の攻撃がやってくる。そうなると、受けたうえで、わずかな時間で相手を止める一手が必要となってくる。それは何か。確実な受けとその後のわずかな衝撃である。「打ち」で相手を行動不能にすることはあくまでも下の勝ち中の勝ちにしかならない。相手に「この人には攻撃が入れられない」という印象を与えることが我々の目指す上の勝ちである。そのために、攻撃は確実に防ぎながら、かつ、戦意を削ぐような衝撃を加える。それを可能にする円弧をぶつけるような受けの形を身につけてほしい。

2.武術としての「崩す」ということを理解する2.武術としての「崩す」ということを理解する

武脩館の「剛」に対する考え

外柔内剛

武脩館の空手を極めるにあたって、
「剛」の空手は不要なのか?とよく聞かれることがあります。
答えは必要です。
ただし、「剛」の空手をとことんまで極める必要はなく、
むしろ自分の身体を思い通りに動かすための必要最低限の筋力と、「受
け」を修得するために「突き・打ち」に対する理解を頭ではなく自分
の身体で覚えるまで技術を習得する必要があると考えています。そう
して鍛える「剛」の技術がある程度高まれば物事の対処への余裕が生
まれ、その余裕がさらなる心の平穏へと繋がります。

2.武術としての「崩す」ということを理解する2.武術としての「崩す」ということを理解する

YouTube

基礎鍛錬集

武脩館YouTubeチャンネル①武脩館の筋トレ
②内の「剛」を得るトレーニング
③その他、総計30本以上
武脩館の受けのための「剛」のトレーニング方法や、考え方、少年部の鍛錬などWEBには掲載していない数々の鍛錬方法をYouTubeにて掲載しております。相手を「受け」て制する武脩館の空手の鍛錬をご覧ください。

あとがき

外柔内剛は内剛外柔ともいうようだが、
やはり、学ぶ順序としては剛を獲得した後に、柔へと進んで行かなければいけないのだろうなと思うし、
それは実際に戦うという時だけではなく、暴力を伴わないあらゆる争い事の場面において、
中身が剛でなければ結局は柔らかい術も効かないのだろうなと思っている。

空手や武道全般の段位について、私は、最近こう思っている。
これは勝ち方のレベルを表しているもので、
より相手を傷つけずに事を終わらせることができる術を身に着けているかどうかなのかと。
初段が二段より確実に弱いというわけではなく、逆に十段が初段の数倍強いというわけでもない。
ただ、段を重ねるほどに相手を傷つけずに物事を解決に導く方法を知っていて、
その人格や雰囲気をもって戦意喪失させる何かが備わっているべきなのだろうと。

世間一般では、段位は強さのレベルを表していると思っているし、
私自身も強さとは、下( げ) の強さを極限まで追求するのが現実だよなと思っていた時期もあるが、
実社会に出て色んな揉め事に遭遇するたびに、勝つことよりもその勝ち方のほうが大事。とわかってきた。
相撲でいう、「勝負に勝って相撲に負けた」の言葉の如く、
日本人の心には「道」という考えがあり結局はそこに行き着く。
我々のDNAの中にそれが有るからスポーツを観ていても大抵の日本人は、汚いことをして
反則ギリギリセーフの勝ちや相手のミスでの勝ちを褒めないし、嬉しく感じないのだろうなと思う。


これを見て、読んで、そんなの使えるのか、通用するのかという疑問は多々あることでしょう。
私も実際のところわかりません。
ただ、殺法しかしらないと実際には使えないか、使ってしまい後から大きな禍根を残すしかない。
だから活法、つまりとことんやっつけてしまわない方法を知り、
学んでおくべきではないだろうかというのが、40 年の修行で得た思いである。

武道の段位とは、勝ち方のレベルであり、単なる強い弱いの差ではない。
問題解決のレベル、方法の修得度合なのだと。

剣道高段者の老人は全日本チャンピオンの若者に試合で勝てるのか?
合気道の先生は、ボクサーに勝てるのか?

などの疑問を修行者の多くは持っていることだろうが、
物事を人生にあてはめてみれば良い。試合での優劣など何の役にも立たない。
勝つか負けるどころか、勝たないことの方が
お互いの為に良い場面も多々あるんやでというのが私の思いである。

剛から柔へ。殺法をある程度覚えたら、
活法まで学ばなければ駄目だよというのが、
武脩館の稽古である。