武脩館 BUSHUKAN 剛の空手から人生で生きる柔の空手へ

道場生募集

CONCEPT

防御こそが最良の武器となる絶対に負けないための空手道

打って勝つようでは 下の勝ち

打たれずに勝っても 中の勝ち

打たずに勝てれば  上の勝ち

相手に打たせることなく、
それどころか争いも生じさせないよう導く。
それが我々の目指す、


最上の勝ち

武脩館について

例えば、道で因縁をつけられて殴られそうになったとします。
あなたならどうしますか?
私は相手が間違っているならそんなやつ殴ってもよいと考えていた時期もありました。
ですが本来は相手が間違いに気づいて態度を改めてくれれば良いわけで、
勝つことや傷つけることが本来の目的ではないはずです。

もしその相手が幼稚園児や小学生なら?
誰しもがその本質に気づき、行動に移すはずです。

しかし、相手が中学生くらいになると、
途端にそれができなくなるのが現実ではないでしょうか?
つまりそれは、もしかすると自分が負けるかもしれない。
傷つけられるかもしれない、と思うことから始まります。

人生で生きる空手とは?

空手を学んでいる人、かつて学んだ人、または、学ぼうと思っている人。あなたの人生の中で「空手」をどう生かしますか?
私は40年以上空手を続けてきた中で、殴る蹴る傷つけるだけを学んで一体何が残るのか、その空手は体が年老いていくにつれ同じように退化していくのではないかと疑問を感じるようになりました。
人生の中で勝負事は道場の中だけではありません。
ある時はビジネスの世界で、ある時は危機迫る現実の世界。
様々なことが起こりうる人生で、「空手」を生かしていくために、「相手との対峙」をひとつの軸に、護身空手ともいえる「武脩館」を発足しました。

動きへの適応力が、
対峙への恐怖心を消す

空手を何年か学んでいても、現実の世界で相手と対峙することは恐怖に感じると思います。私もはじめはそうでした。それはなぜか、相手を殴り倒す方法しか知らないからです。人を殴ることが許されない道場の外では殴る蹴るの空手は本当の意味であまり役に立ちません。
そこで相手のハラを読み、動きに対して瞬時に防御、または受け流すという適応力を磨き、絶対に負けないという自信を身につけていきます。それこそが心の平穏を生み、対峙した際の冷静な対応力となり、恐怖を取り除いていくと考え弟子達と切磋琢磨する日々を過ごしてきました。

「勝ち」の価値観について考える

相手を殴り倒すことが「勝ち」なのでしょうか?道場の中ではそれが「勝ち」となるでしょう。
ただ、人生に於いて考えると殴り倒すことは「勝ち」と言えるでしょうか。むしろ、相手の怒りの感情を収め、何も起こさせないことのほうが「勝ち」といえるのではないでしょうか。この価値観こそ「武脩館」の考え方の源となっております。
この価値観を得るための鍛錬も、私たちの思い描く武の道であります。

HISTORY

武脩館までの歩み

event

極真空手 芦原英幸師範の
京都支部道場に入門

子供時代からスポーツ、特に陸上競技にのめり込んだ後、19歳で友人の誘いもあり、京都支部道場に入門。

1979
event

「強くなりたい」の思いで極真へ

当時、極真以外の寸止め空手の試合を見ていると、どちらが強いのか私にはさっぱりわからなかった。当の本人達がわかるのか、また「勝ち」といわれてもあれで自分が強くなったという自信が持てるのだろうかと考え極真を選んだ。

event

1度目のトラブル

空手を始めてしばらくした頃、銭湯で妙に馴れ馴れしく声をかけてきた見知らぬ小太りの男に下宿まで付いてこられたことが初めてのトラブルの原因である。友達になりたいから部屋に入れろ、入れないの押し問答の末、腹や背中にパンチを数発入れてしまい、理由はどうあれ一方的に殴ったことが事件となり、治療費を支払う羽目になった。この頃はまだ『殴ったことは仕方なかった』と考えていた。

event

芦原会館 京都支部道場になる

芦原会館へと名前を変え、芦原師範の下「捌き(さばき)」を軸に、芦原先生流の蹴りや突き、流すような払い受け、軸足を蹴るなど相手の態勢を崩したり有利なポジションにつく術を学ぶ。

1981
event

「実戦で生きる空手」に共感

道場を離れたら人を殴ることが許されない武道。殴るだけ攻めるだけの空手を学ぶことに不自然さを感じていた私は、芦原先生の『捌き』を軸にした蹴りや突き、流すような払い受けなど、相手の態勢を崩し有利なポジションにつく術を「実戦で生きる空手」として強い共感を抱いていた。相手の態勢を崩すことは実戦でもおおいに役立つと考えていたからだ。しかし同時に、有利なポジションを得たからとしてそれは勝ちではない。相手の戦意を喪失させるには最終的には叩きのめすしかないと当時の私は考えており、叩きのめさない空手に疑問も感じていた。

event

2度目のトラブル

そんな中、2 度目のトラブルを起こしてしまう。帯が緑帯になった頃だった、一目でその筋とわかる輩が若い女性を無理やり連れて行こうとしていたのに遭遇してしまったのだ。間に入っていったことで女性は逃げ出すことに成功したのだが、剛の空手を学んだ性かそのまま相手との対峙は続き、相手の男性をパンチ一発でのしてしまった。この時、事を収めた実感はなくまた勝利の余韻に浸る事もなかった。間違えれば命を奪ってしまうかもしれない、自分に身に着き始めた力への恐怖を感じていたのかもしれない。

event

芦原会館から正道館黎明期

京都支部、伊藤博久師範は石井館長ひきいる、正道館へと加わる。正道館では極真空手の何が何でも、服や体を掴んではいけないのは不自然である。つまり実戦との乖離が大きすぎるという問題を解決すべく道着を掴むことを正道では許可しており、芦原先生の「捌き」の概念を取り入れ「一瞬だけひっかけ」「崩し」「捌く」空手を模索し進化しつつあった。

1982
event

空手と実戦との乖離を埋める
模索と充実

空手経験者なら一度は考える、空手と実戦との乖離の部分を不自然だと思った正道館は、日々その乖離を埋めつつ試合形式でもやれるようにならないか、という模索をし続けており、この頃は日本で一番良い環境で修行できていると感じ、とても充実感を感じていた。今思えば実戦との乖離をなくそうとしていたこの日々を続けていればもっと早くに理想の空手に行き着いていたかもしれないと思う。

event

空手人生を変える3回目のトラブル

2度のトラブルで空手の力を実感していた私だが、殴る蹴るの術しか知らなかったこの頃の私は3度目のトラブルを起こしてしまう。相手が悪く警察も手を焼くほどの暴走族の一員であった。相手の親が警察にも乗り込むほどの大騒ぎであった。自分1人の力ではどうにもならず父親が私の代わりに事を収めにいってくれた。その時相手の家の畳には包丁が刺さっていたそうだ。最終的に空手を続けることとなったが、これを機に空手を学ぶことでトラブルばかりを起こしてしまうと思い、一度道場を辞めた。
暴力団に対するこの時の父親の行動を、自分が同じようにできるのかという疑問をもつようになった。

event

正道会館 和歌山支部長に就任

トラブルの後、石井館長に退会する旨の手紙を書いて京都道場の伊藤師範のところへ渡しに行き、しばらく空手とは距離をおいたが伊藤師範からの励ましのお言葉もあり続けることができた。そして忘れもしない1983 年、大学卒業を迎え改めてお礼の挨拶に出向くと、石井館長から、何年後でも良いから「和歌山はお前がやってくれ」と和歌山支部長と書かれた名刺をいただく。
それから何年かの月日がたった頃、一人で稽古しているところを、当時の門下生になる人が「教えてください」と声をかけてきた。その後次第に人数が増え、1986 年、正式に和歌山支部を開設する流れとなった。

1983-1986
event

剛だけの技術は生兵法

この頃の私はすでに大学卒業して仕事をしていた。以前のトラブルのこともあり、「剛だけではろくなことにならない」と夜は和歌山支部長を努めながらも常に考え続けていた。もし身内が危機に陥っていたら見て見ぬ振りでよいのか?ただ殴られるのを我慢すべきか?
「剛」だけの今の技術ではこのような事態を回避する術が全く思いつかなかった。

event

正道会館 和歌山支部
少年部を開始

自分の子供が生まれたこの年に、正道会館 和歌山支部 少年部を開始。

1995
event

体格差が顕著に表れる 少年空手

空手とは、歳をとり肉体が衰えるにつれどんどん、“かつて”のものなっていくと考えていた私は、将棋や囲碁の段位のように、ある程度の絶対的な強さを空手でも身につけていけないかと感じていた。その過程で体格差が顕著に表れる少年空手を指導していくことで、肉体の差を埋める何かがつかめるような気がして少年部を開始した。

event

正道会館 和歌山支部を弟子に託す

空手を続けて行く中で「剛のみの空手」に疑問が出てきた私は、自分の武道を追求し始めた。自分勝手に技術解釈したものを正道会館の空手として、弟子達に教えられないため、正道会館の空手は弟子に託し、私は自分の武道を追求しはじめた。

2005
event

剛のみでない空手とは?

現実の世界ではろくなことにならない「剛のみの空手」に疑問を抱きつつも、「剛のみでない空手」とは?まずは手を一切出さず防御することのみを考えた。が、当然終わりがない。
となると、考えついた先は、「戦わずして勝つ」。
一見究極の形のように思えるが、、、、

event

絶対に負けない技術

自分の武道を追求をしていると、防御の動きの中で相手を封じ込めることができることに気がつき始めた。これが出来れば負けることはないと感じた瞬間であった。そしてこの負けない技術は、年齢差、体格差に関わらず、ある程度発揮できるとも確信した瞬間でもあった。負けない技術を身につけることができれば、大人が子供を導くように、多少の生傷は受けるにしろ大人が大人を導くことができる、人生で生きる空手に繋がっていくのではと自分の武道が見え始めた。

event

正道会館を退会

目指すべき武道が明確になり正式に正道会館を退会する際、和歌山支部は他の人に託そうとしたが、その時の正道会館に和歌山支部長としての適任がおらず和歌山支部は幕を閉じた。

●正道会館時代に築いた身体動作

2007
event

ビジネスでの勝負

話は少し変わるが、長年ビジネスをしていると勝負事がたくさんある。取引先との間でもそうであり、社内も例外ではない。こちらが正しくても威圧で乗り越えようとしてくる方も中にはいた。そんな時にその場を収めてこれたのは、相手に怯まず冷静に対処できたからである。
その時の自分の精神状態を思い返すと、最悪殴りかかってこられたとしても、絶対に負けない。だから間違っていないならしっかりと意見を伝えようという気持ちであった。空手を学んでいなければこのように考えることはできなかったであろうと気づいた。

event

ビジネスも人生も無差別級

ちょうど、武脩館を始めた頃、ビジネスのことで大きな事件がふたつ重なってしまった。
いずれも、取引先の担当者と合意の上で作ったまでで、当社には非がないことははっきりしていたのだが、取引先が非は認めるが私に悪者になってくれないかという要求を受け入れたことから、話が混乱の極みとなっていったのだった。

当社はとても小さい会社のため常にトップセールスをしていたので、ふたつの大きなクレームを同時に対応する時間と体力に余裕がなくなり、途中過労で倒れるなどし、短気を起こしてしまい、一方のクレームに対しては冷静さをかいて強く出てしまい、当社の金銭被害は免れたが商売は失った、もう一方は訴訟問題にまでなっていった。

わずか数人の社員の会社が上場会社や外資相手に一人で戦うということは、資金的にも目途が立たず、こちらには非はなく冷静に考えれば勝ち目は十分にあったのに、資金面での少なさもあり最善の方法を選択できなかった。

武術で言えば、攻撃技しかできず、受け技が不十分なため、二人相手には戦えないとパニックになり間違った判断をしたなと今では思える。

ビジネスでもケンカでも、争いはないに越したことはない。
しかし時には争わねばならぬこともある。そこできちんと力を出し切るためには冷静で平穏な心で相手と対峙し的確な行動をとることが大事だ。
人との対峙に関して、道場であろうと、ビジネスであろうと、ケンカであろうと結局人生は人と人である。
負けない肉体が、心の平穏を生む。人と面と向かってしっかり向き合うためのベースとなるのが武脩館の武道である。

event

武脩館 発足

「剛から柔へ 殺法から活法へ」を教えに、和歌山県田辺市に「武脩館」を開く。

2008

LESSON

動画稽古

武脩館動画稽古武脩館動画稽古

武脩館の動画稽古

これまで培ってきた経験、武脩館の記録として次のページで鍛錬方法を動画で説明しております。空手に対して同じ葛藤を持たれたことのある方、体力の関係で空手から遠ざかってしまった方、是非一度ご覧ください。動画解説ページはこちら